くらし手帖

甲状腺腫瘍摘出手術、子宮摘出手術をうけました。その備忘録と、その後の生活を綴ります。

訪問看護

そして夢を見ました

前述した夢の記録。 息子と話した15日の日曜日の夜、私は夢を見ました。 その話をしたら、

なんと息子もその同じ日の夜、 夢を見たと。

その内容もしんどいもの。

トイレで父が吐いていて… それが広がっていて…と

その話を聞いて、すぐ実家に帰ろうと思いました。

緩和ケア外来に電話

17日の火曜日、本来なら入院していた病院で抗がん剤治療の日でした。

でもそんな退院したばかりで体力も落ちてる。 抗がん剤なんてできるはずない、思っていました。

やはり父は前日の月曜日から体調が悪化。 トイレも1人で行く事が難しくなってきていました。

そして火曜日の診察も、往診してくれたかかりつけ医が主治医に連絡してくれました。 体調が悪く行けないと。

それでも、その主治医から何の連絡もありませんでした。

腹水を抜いて退院して、体調も悪くなっていってるのに… がん起点病院の医師はたくさんの患者を抱えてるとはいえ。 見放されたような気持ちになりました。

いてもたってもいられず、 私はその病院の緩和ケア外来に相談の電話をかけました。 緩和ケア外来の看護師さんは、 親身になってくれます。

そうしたら、 すぐに担当の看護師さんが 「訪問看護を頼んだ方が良い」と言われました。 母1人で大変だからと。

あまりの展開でおどろきましたが、この事が本当に助けになりました。

すぐ母に電話して、かかりつけ医を通して訪問看護をお願いすることになりました。

水曜日、もう一度父に電話。 訪問看護が家に入っても良いか、 嫌じゃないか確認。

人に知られるのが嫌だと思っていた父の意志を確認したかったのですが、 この日は話す事もさらにしんどくなっていました。

最期は緩和ケア病棟に入院したいと言っていた父。 でも、 その緩和病棟は面会もできないのでもう入院は嫌だなとこの時は言っていました。

田舎の地元には一つしか緩和病床はなく、 そこにかかるためには予約も必要。 そこで緩和ケア外来から予約を取り付けてもらいました。

そしてなぜか私はギックリ腰を発症。

木曜日の帰省は諦め、20日金曜日に帰省する事になりました。 在宅で看取る覚悟を持って。

そして喪服も全て荷物でおくりました。

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